20世紀初頭、ブラジルの生産量(kn-141)は世界の4分の3に達し、豊作のたびに相場は暴落しました。1906年、サンパウロ州は余剰豆を借入金で買い上げて倉庫に隔離し、供給を絞って価格を支える「バロリゼーション(価格維持政策)」を開始します。国家がコモディティ市場に真っ向から介入する、当時として空前の実験でした。
政策は短期的には成功し、その後も形を変えて続きますが、高値は他国の増産を招き(コロンビアkn-143の台頭もこの時期)、1929年の世界恐慌で在庫の山は支え切れなくなります。1930年代のブラジルは余剰豆を機関車の燃料として焼却する事態に——「コーヒーを燃やして走る列車」は、市場と戦う国家の苦闘の象徴になりました。この経験は後の国際コーヒー協定(his-020)の伏線となります。