1968年、田口護が東京・南千住(山谷)で開いたカフェ・バッハは、豆の仕入れから焙煎・抽出までを一軒で担う「自家焙煎店」の モデルを作り上げました。当時、焙煎は問屋の仕事であり、喫茶店は豆を買って淹れるのが常識。バッハは産地訪問と品質選別、焙煎理論の体系化、そして誰でも再現できる技術の言語化によって、その常識を塗り替えていきます。

田口の著作と教室からは全国の自家焙煎店主が巣立ち、「バッハ系」と呼ばれる系譜を形成しました。2000年の九州・沖縄サミットでは各国首脳にバッハのコーヒーが供され、山谷の一杯が国賓の食卓に上がる象徴的な出来事に。職人の手仕事と科学的な再現性を両立させるこの思想は、後のスペシャルティ時代の日本の土台になりました。